「サブスクって本当にハッピーですか?」を朝ドラとチェンソーマンから考える
こんにちは~。ハイパー久しぶりに気まぐれで文章を書きたくなりました。最近同じような悩みを抱えている人に何人か出会ったので、そのことについて考えの整理も兼ねて書き起こしてみます。
はじめに
この5年~10年における社会変化のうち、最も大きい変化の一つとして「サブスクリプションサービス(以下サブスク)の台頭によるコンテンツ消費スタイルの変化」が挙げられるのではないでしょうか。サブスク以前の社会では、音楽・映画・アニメなどのコンテンツは、欲しい物を一つ一つ個別で所有するという形が大多数でした。一方サブスク以後は、大量のコンテンツを定額で利用出来るようになりました。
私自身、色々なコンテンツを楽しむのが好きなので、サブスクによる恩恵は非常に多く受けている側の人間です。しかしながら、サブスク台頭後それなりに時間が経ってきた昨今、「サブスク疲れ」のような物を感じるようになってきました。それって何でなんだろう?と考えていた最中にとっても象徴的な対比を見つけたので、その話をベースに、「コンテンツの消費スタイルはサブスク前後のどちらがハッピーなの?」を考えたくて文章を書いてみています。あくまで私自身の消費スタイルに基づいた考察ですので、必ずしも一般化できていない部分があることはご了承下さい。
まずはサブスク前後でのコンテンツの消費スタイルを整理してみたいと思います。
サブスク以前のコンテンツ消費様式
サブスク以前の社会においては、コンテンツは一つ一つお金を払って購入して所有する必要がありました。(レンタルの場合所有にはなりませんが、消費する量が増えれば増えるほどコストが増える変動費的な消費なので、その意味ではサブスク以前の文化だと思います。)
こういった消費スタイルの場合、よほどのお金持ちでもない限りは所有できるコンテンツの上限は少なくなります。一方で可処分時間は定数であり、基本的にはサブスク前後で変化は大きくないと仮定すると、コンテンツ一つあたりに割く時間は今と比べて多かったと考えられます。言い換えれば、一つの音楽・映画・アニメを大事に何回も繰り返し視聴することが出来ていました。この「一つのコンテンツを繰り返し視聴すること」が、サブスク以前の消費スタイルの最も特徴的な点の一つではないでしょうか。
では、この特徴によって生み出されるものは何でしょうか?それは「愛着」だと私は思います。音楽・映画・アニメのようなコンテンツを繰り返し視聴することによって、新たな気付きや発見をしたことが皆さんもあるのではないでしょうか。その時置かれている立場や環境、感情によって見え方が変わり、それまで刺さらなかったものが刺さったり、刺さっていたものが刺さらなくなったり、そういった体験を重ねながら一つ一つが自分の中で馴染んで育っていき、それが愛着となっていくのだと思います。
余談ですが、音源でしか聴いてなかった楽曲をライブで聴くことによって以前より好きになって音源を聴く回数が増えて好きになっていくのも同じようなプロセスだと思います。
サブスク以後のコンテンツ消費様式とサブスク疲れ
サブスク以後の社会においては、大量のコンテンツを定額で利用出来るようになりました。例えば、サブスク以前においてはCDアルバムを1枚聴きたいと思ったら2~3,000円/枚がかかりましたが、サブスクの登場によって1,000円前後/月という低価格で何曲でも聴けるようになった訳です。すると、自分を含めて多くの人がサブスクへ移行していくことになります。結果として、毎週の様にリリースされて降ってくる新しいコンテンツを追っかけて行くような形に消費スタイルが変わっていきます。
片や、個人の可処分時間は以前とさほど変わりませんので、一つコンテンツに割ける時間は当然短くなっていきます。言い換えれば、一つコンテンツを繰り返し視聴するという体験が少なくなっているということになります。結果的に、コンテンツ消費の絶対量は増えていきますが、一つ一つのコンテンツを大事にすることは難しく、愛着を持つコンテンツが少なくなっているように感じます。
個人的な感覚ですが、コンテンツをインプットして楽しむのではなく、消費している気持ちが強くなっています。きっと「サブスク疲れ」なんだろうなと思いますが、これはあまりハッピーな状況じゃないなと感じることが増えました。
消費スタイル変化の象徴としての朝ドラとチェンソーマン
ここまではサブスク前後でのコンテンツの消費スタイルの変化とそれに伴う作品への愛着の変化についてまとめてきました。そして、最近この消費スタイル変化の前後を象徴する事例に丁度出会ったので、その比較から「コンテンツの消費スタイルはサブスク前後のどちらがハッピーなの?」という問いに対して自分の答えを出していきたいと思います。
その事例は、朝ドラの主題歌とチェンソーマンのEDです。朝ドラはNHK朝の連続テレビ小説のことで、毎週月~金の朝15分間放映されており、毎朝OPとして主題歌が流れます。朝ドラは半年間で計130話前後放映されますので、視聴者は主題歌も130回聴くことになります。そして、毎日少しずつ進んで変化していくストーリーに主題歌の歌詞や雰囲気が重なって、主題歌への愛着も徐々に沸いていきます。そんなに好きなアーティストじゃないなと思っていても、毎朝聴いてストーリーと重ねていくと不思議と愛着が沸いてきてしまうのです。これは、サブスク以前のコンテンツ消費スタイルと符合するように思います。ちなみに今期の「舞いあがれ!」は最高なので今からでも追ってください。
一方で、その対極にあるのが10月から始まったTVアニメ チェンソーマンのEDテーマです。チェンソーマンのEDは週替わりで、毎週違うアーティストの違う曲がEDとして流れます。そして、EDで流れた直後にサブスクで音源がリリースされるという、非常にワクワクさせられる手法が取られています。これは完全に朝ドラとは対極で、サブスク以後の文化として非常に象徴的だと思います。一つED曲を毎週のストーリーから多面的に捉え、繰り返し聴くことでアニメ本編と一緒に愛着を深めていくのではなく、「今週は誰のどんな曲だろう?」というような期待感や高揚感が短期的に作品に上乗せされる形になっています。
個人的に、この手法で12話が終わった時にその後も繰り返し聴くような思い入れの深い曲が出来るかというと疑問に思いますが、サブスク以後に定着した消費スタイルとは非常に相性が良く、アニメが広くバズるという点においては最高な手法だと思います。あくまで高揚感や話題性と愛着の深さとのトレードオフの話なので良し悪しの議論ではないですが、これをベースに結論を出していきたいと思います。
どっちがハッピー?
では、消費スタイルとしてサブスク前後はどちらの方がハッピーなのでしょうか?個人的には、ED曲が毎週変わると愛着が沸く入口は減ってしまうかなと思ってしまいます。もちろん短期的な盛り上がりは大きいですが。なので、朝ドラ主題歌のようなサブスク以前の消費スタイルの方が、サブスク以後のそれよりもハッピーだなというのが私の結論です。
一方で、サブスクによる恩恵を大きく受けているのもまた事実です。例えば、サブスクが無ければ進んで聴かなかったアーティストにハマったり、当時余裕が無くて見逃していたドラマや映画を気軽に視聴したりすることが出来ています。結果として、サブスクで知ったコンテンツを自分で購入して所有しているケースもあります。そのため、全てのサブスクを解約してコンテンツを購入するスタイルに回帰すれば解決するかというと、そんなことも無さそうです。
ですから、サブスクを使うor使わないではなく、使い方で消費の量と質のトレードオフを意識的にコントロールしていくしか無いのだと思います。日々更新され降ってくる新しいコンテンツに対して「あれもこれも手に取らなくては」と、その膨大な選択肢に片っ端から手を伸ばすのではなく、自分の可処分時間を考慮して適切な量に絞った消費を行っていく必要があると思います。そうすることで、自分の中に何も残らないような消費は避けられるのではないかというのが私なりの解決策です。
そもそもコンテンツを楽しむこと自体が自分の幸福度を高めるための娯楽・嗜好品です。ですので、シンプルに自分の幸福度が最大になるような選択をすれば良いだけなのですが、これだけ大量のコンテンツが手軽に利用可能な状況だと、楽しんでいるつもりがいつの間にかただ消費させられていることになってしまいがちです。それはあまりハッピーではないので、そうならないような形で、これからもよりハッピーになるべくコンテンツと向き合っていければ良いなと思います。
2018年 年間ベスト30曲
こんにちは!しばらく投稿サボっていましたが久しぶりに書いてます。何と何と、2018年もあと残すところ2日のようで・・・。例のごとく年間ベスト30曲を選んでみました。並べてみると去年とレパートリー全然変わんないなあと言う感じですが、今年は音楽を聴くことに割ける可処分時間が少なったから仕方なし。と、そんな感じで1年を振り返るきっかけの1つになったので結果やって良かったと思います。ではでは、30位から
30位『いいのに』sumika
29位『ユートピア』東京カランコロン
28位『ノーダウト』Official髭男dism
27位『さよならエレジー』菅田将暉
26位『暁のザナドゥ』KEYTALK
25位『SUNNY GIRL』Awesome City Club
24位『ピュアなソルジャー』Shiggy Jr.
23位『トビウオ』パスピエ
22位『プロローグ』Uru
21位『セツナRing a Bell』内田真礼
20位『3cm』MINT mate box
19位『夢見る頃を過ぎても』きのこ帝国
18位『水色の日々』SHISHAMO
17位『オールドファッション』back number
16位『アイマイモコ』水瀬いのり
15位『彷徨う日々とファンファーレ』KANA-BOON
14位『帰り道は遠回りしたくなる』乃木坂46
13位『今夜このまま』あいみょん
12位『漂流劇団』ズーカラデル
11位『Hello Song』星野源
10位『春を待って』KANA-BOON
9位『こんがらがった!』ネクライトーキー
8位『泣き笑い』クリープハイプ
7位『光の方へ』鈴木愛理×赤い公園
6位『栞』Radio Bestsellers
5位『かたまり』YUKI
4位『アイデア』星野源
3位『春が来てぼくら』UNISON SQUARE GARDEN
2位『マリーゴールド』あいみょん
1位『君の瞳に恋してない』UNISON SQUARE GARDEN
一部2017年リリースのものもありますが、その曲が収録されているアルバムは2018年発売なのでご容赦下さい。アルバム編も気が向いたら書こうかなと思います。それではみなさん、良いお年を!
2018年上半期によく聴いたやつ20曲
こんばんは!ユニゾンの『MODE MOOD MODE』の発表で劇的な幕開けとなった2018年ですが、いつの間にか折り返し地点を通り過ぎてしまいましたね。きっとあと体感3日でCDJを迎えていることでしょう。ということで、上半期も終わってキリが良いので個人的によく聴いた20曲を”順不同”でバーッと並べてみようかなと思います。一部まだフル解禁されてない楽曲とか、2017年にリリースされた楽曲も含まれていますが、ガツンと来たので入れてしまいました。ご容赦くださいませ。YouTubeに公式の動画が上がっているものについてはリンクも貼ってますのでよかったら聴いてみてください。良い曲ばっかりです!
1. 『CLEAR』坂本真綾
2. 『水色の日々』SHISHAMO
3. 『アイデア』星野源
4. 『ストロー』aiko
5. 『アニー』ズーカラデル
6. 『光の方へ』鈴木愛理×赤い公園
7. 『暁のザナドゥ』KEYTALK
8. 『スターノイズ』リーガルリリー
9. 『シンクロニシティ』乃木坂46
10. 『シンボリックビュー』内田真礼
11. 『拝啓、少年よ』Hump Back
12. 『彷徨う日々とファンファーレ』KANA-BOON
13. 『真夜中ドライブ』緑黄色社会
14. 『泣きたいくらい』大原櫻子
15. 『メイクキュート』MINT mate box
16. 『さよならエレジー』菅田将暉
17. 『春が来てぼくら』UNISON SQUARE GARDEN
18. 『君の瞳に恋してない』UNISON SQUARE GARDEN
19. 『いいのに』sumika
20. 『びろうど』チャットモンチー
以上です!アルバム編も近いうちに上げようと思いますのでよかったら覗いてみてください!
『MODE MOOD MODE』全曲レビュー 後編
だいぶ間が空いてしまったのですが、『MODE MOOD MODE』全曲レビューの後編です。
また長々と書いてしまい反省してますが、実はアルバム全体のふわっとした短めの感想も書いてみて音楽文に投稿してみたところ掲載して頂けたのでそちらも読んでみてくださーい。
ではでは、7曲目からいきまーす。
7.『MIDNIGHT JUNGLE』
ここから折り返しで後半戦。起承転結でいうと転のゾーンに突入です。『Dr.Izzy』ツアーの後半戦から披露されていたこの曲、『天国と地獄』とか『徹頭徹尾夜な夜なドライブ』と近い感じの雰囲気ですね。観客が踊ってる姿が容易に想像できるような感じの。ワンマンだけじゃなく、フェス等含めてあらゆるライブで演奏されるいわゆる定番曲になりそうな感じがします。
この曲で印象的だったのは2つで、1つは<煉って千切って桜吹雪>という歌詞。めっちゃ爽快。多分これ、田淵(Ba./Cho.)がよく言ってる「悪口もポップに言いたい」っていう話が歌詞になったのかなと邪推しました。いくら煉って千切るような悪口を言っても、ちゃんと桜吹雪のようなポップなものに落とし込めたら良いですよね。
2つ目が、音が急に上がる部分が多くてそこがキャッチーに聞こえるとこです。といっても分かりにく過ぎると思うので具体例を言うと、下に示した赤字の部分です。
<もったいない 奴を殺せるのならば>
<MIDNIGHT JUNGLE 生い茂ったら飛んじまえ飛んじまえ>
この音が上がる部分がとってもキャッチーなフックになっていて、それ故にサクッと何回も聴けてしまうのが個人的にこの曲の好きなところです。ただの勘ですが、春からのツアーのセッション後に披露されそうだなと勝手に思ってます。
8.『フィクションフリーククライシス』
マイナーのヘンテコなリフで始まったかと思ったらサビでいきなり引くほどポップに花開く8曲目。実はこの曲、このアルバムの中で唯一腑に落ちてなかったんです。なんというか、7曲目と9曲目を上手く橋渡ししてアルバムをの流れを綺麗にするための機能特化型の曲というか、個人的にとにかく最初は全然腑に落ちてなかったです。まぁ結局それは僕が浅はかだった訳ですが。インタビュー各所に目を通した方はご存知だと思いますが、この曲、アルバム制作段階の最後の最後に別の曲と入れ替えた曲だそうです。入れ替える前の曲がまともすぎたことと、その曲ではアルバム全体の流れが少し悪くなってしまうことが理由だったようです。その話を知った当初は「流れももちろん大事だけどそこに特化しすぎるより元の曲入れた方が良かったんじゃないの?」と思っていました。で、実はその入れ替えた曲というのが『春が来てぼくら』のカップリングでおなじみの『ラディアルナイトチェイサー』だった訳ですが、ここでプレイリストを駆使して『MODE MOODMODE』の8曲目にこの曲を差し込んでみるのがファン心理ですよね。僕も例に漏れずやってみました・・・確かに感じるコレジャナイ感。『ラディアルナイトチェイサー』そのものはユニゾンのロックサイドの必殺技感満載でめちゃくちゃにかっこいいんですよ。ただ、前後の曲を考えると確かに少し流れが重たくなってしまうし、アルバム全体として見たときも少し「いい子ちゃん感」が強すぎるものになってしまうなと。で、改めて元の曲順で聴いてみるとめちゃ納得。そこで腑に落ちてからはこの曲の言葉に対する音の嵌め方とかサビの最高にポップな感じとかがしっくりきて大好きになりました、盛大な手のひら返しですが良いものは良いので仕方ないですね笑。
9.『Invisible Sensation』
….あざとすぎる繋ぎですね。これやられたらもう「良い!!」っていうしか無い感じがめちゃくちゃあざといです。僕自身この曲があまりにも好きすぎて勝手に11曲目あたりに来ると思ってたので曲順みたときは面食らいましたが、この曲目で並べると確かにここしかないよねと思います。これが「MIDNIGHT JUNGLE⇒ラディアルナイトチェイサー⇒Invisible Sensation」だと確かにアルバムとしてダレてしまう気がするのでやはり『フィクションフリーククライシス』の存在が偉大。さっきも書きましたが。曲自体の感想は年末に長々と書いたのでこちらを読んでいただけたら嬉しいです。
10.『夢が覚めたら(at that river)』
ここからが起承転結でいうところの結になるのかなと。今回唯一のバラード枠。8分の6拍子がすごく気持ちよくて、思わずリズム取りたくなります。ここ最近のアルバムはバラード枠が1つしかないので、入ってくる曲も必然的にクオリティが高い気がするんですが、この曲も案の定良い曲です。一聴目はちょっと地味?とも思ったんですが、何周かしてみると、この曲の前までが派手な曲が多かったこともあってこういうシンプルな曲は安心感もあるし箸休めにもなるし、すごく絶妙な役割を果たしてる曲だなと。多分、いつものアルバムにこの曲が入ったとしたらピアノとか3人以外の音が入ってくるんだろうけど、こと今回のアルバムについてはあえて無骨な感じにしてバランスを取ってるのかな。無骨なアレンジでもちゃんと情景がパーッと浮かんでくるのは斎藤さんの歌唱力の持つ力だと思うので、今だからこそ逆に出来る曲なのかもしれないですね。あとこの曲、構成が珍しい気がしました。どこがサビなの?ってかサビよりBメロの方が盛り上がってない?みたいな。でも、そのちょっと変わった構成が曲の雰囲気と相まってドラマチックさを加速させてるなとも思います。個人的には超好きです、この曲。
11.『10% roll, 10% romance』
10%ここかよ!!!という印象です。前曲からのテンションの差がすごすぎてちょっと耳びっくりみたいな感じなので、間に1曲サラッと聴けるポップな曲挟んでくれたらもっと自然な流れになったんじゃないかなぁと勝手に思ってます。それこそ最近出た『Micro Paradiso!』とか、過去の曲で言うと『フライデイノベルス』とか『instant EGOIST』とか、ポップで軽めなんだけどちょっとエンディングが近づいてることを意識させてくれる感じのやつ…いや、烏滸がましさが過ぎる発言ですが笑。
曲自体はここ数年で1番ユニゾンの得意技てんこ盛りの曲だなと思います。『桜のあと(all qurtets lead to the?)』以降、こういう華のあるタイプの曲のリリースが無くて、『桜のあと(all qurtets lead to the?)』の後釜になるような曲って無いなぁと思ってたんですが、この曲はまさにそのポジションになるような華だったり派手さだったり、そんな力を持ってる曲だなと思います。それこそ、『One roll, One romance』ツアーで演奏され時の会場の盛り上がり方を見ると、ここから3~4年はライブでの必殺技になっていきそうな気がします。4年後もどうせこの曲が好き的な。
12.『君の瞳に恋してない』
「何故シングルカットしなかったのか」シリーズの中でも最強クラスに強い曲だと思います、この曲。大人気ラブコメ映画のエンドロールで流れていても不思議じゃないくらいの大衆性があると思うし、何か間違ってきっかけが出来てしまえば絶対に一般層含めて流行る曲だと思います。一見すると、この曲が強すぎて全部搔っ攫ってっていきそう印象がありますが、これくらいの強くて振り切った曲じゃないと今回のアルバムのここまでの流れを受け止められない気がします。
というのも、このアルバムは『オーケストラを観にいこう』と『君の瞳に恋してない』というハイパーウルトラポップな2曲を軸に置き、そこを中心とした円を描くように、様々なジャンルの楽曲が展開されているアルバムです。そして、その中心である2曲の中に、3人以外の色々な音であったり、普段やらないジャンルであったりを詰め込むことによって、「良い曲に落とし込めるのであれば何だってやっちゃうよ!」という宣言になっているのです。言い換えると、この2曲が『MODE MOOD MODE』の大枠であるコンセプトを定めていると言えます。特にこの『君の瞳に恋してない』については、ブラスというサウンド面に関する部分だけではなく、スカというジャンルも取り入れることによって、アルバムのコンセプトを定義する役割をもった曲としての色がより一層濃いものになっていると思います。逆に言うと、この曲を『MODE MOOD MODE』から外した場合、「ごちゃごちゃしたアルバムだけど結局何がしたいの?」となってしまう気がします。そういう意味で、この曲が最後の1ピースとなって初めて『MODE MOOD MODE』は完成するのかななんて感じました。そんな勝手な想像は抜きにしても本当に大好きな曲です。この曲と『春が来てぼくら』が同時に聴けるなんて、それだけで2018年は最高。
長々と書いてきましたが以上です。あと2週間で遂に待ちに待ったツアーも始まりますね!ツアー直前って本当にワクワクしますよね、めちゃ楽しみ。それではまた適当に更新しまーす。
過去の友人関係って意識しないと簡単に錆つくよねという話
たまには音楽以外の話も書いてみようかないうことで、最近感じた友達との関係性についてのことを忘れないうちに文章に残しておきたいと思います。
多くの人にとって、「楽しい」以外の思い出がほぼ無い無敵だった時代って多分あると思うんですよ、何をやってても爆笑みたいな感じの。僕にとってのそれって大学時代の4年間なんです。で、そうなると必然的にその4年間で出会った友達って今でも全員めちゃくちゃ大事なんですね。だから、大学を卒業するときは「あー、こいつらとはこれからも頻繁に会うだろうし、これからも関係性が変わらず続いていくんだろうな」なんて漠然と思ってました。で、いざ大学卒業してみてどうだったかというと、最初の1年はそこそこな頻度で誰からともなく集まってたのが、2年目、3年目…と、年数に反比例する形で会う頻度が減っていきました。で、会う頻度が減るにつれて共通の話題も減り、そのうち会うことも若干億劫になってまた頻度が減って・・・というスパイラルに入っていった訳です。
でもこれってある種当たり前のことで、大学を卒業すればそれぞれ就職したり家庭を持ったり新しい趣味を持ったりして、限りある時間に過去の友人が入り込む隙間ってどんどん減っていく訳で、要はみんないっぱいいっぱいなんですね、目の前のことで。そうなれば共通の話題が減っていくのも当然で。でもそれこそ、いつまで経っても過去にしがみつくのも考え物だし、上にも書いた通りこれは仕方のない流れだと思うんですよ。とはいえ、ある時期を一緒に駆け抜けた友人と「時間がない」とか「タイミングが合わない」ということだけがきっかけとなって疎遠になっていくのはちょっと寂しい気もします。それこそ、定期的に会っていた結果、お互い環境の変化によって考え方とか居心地の良さにすれ違いが生じてそのまま疎遠になっていく…みたいなのはどうしようもないと思うんですよね。だって、環境が変われば人間の内面もある程度の深さのところまで変わるし。その時同じ環境にいてその同じ環境という文脈を共有していたからこそ関係が繋がっていた友達は、お互いの環境が変われば合わない部分も出てきて徐々に疎遠になっていくのは自然なことかなと思います。それは全然悪いことでも罪なことでもないし、むしろある期間をめちゃくちゃ楽しく駆け抜けたならそれはそれでめちゃくちゃ尊いことだと思います。一方で、そのときの文脈だけじゃなく、もう少し深いところで馬が合って仲良くなった友人に関しては、環境が変わっても考え方とか居心地とかってそこまで変わんないはずなんです。だからこそ、お互いのタイミングのすれ違いだけが原因で関係が希薄になるのはもったいないような気がするのです。
ちょっとごちゃごちゃしてきたので言いたいことを整理すると、まず学生時代の友達との関係性が徐々に希薄になっていくのはある種当然なこと。だけど、そもそも学生時代の友達って大きく分けて二パターンあって、一つがその時同じ環境にいて、近くで同じ文脈を共有していたからこそ仲良くなったパターン。もう一つが出会う場所関係なくコアの部分で気が合って仲良くなったパターン。で、前者に関してはお互いの環境が変われば関係性も変わって希薄になっていってしまう。一方で後者に関しては、環境が変わっても基本的には関係性は変わらないはずだけども、時間的制約とかが原因で関係が希薄になっていってしまう。結局、ある瞬間どれだけ仲の良い友達だったとしても、環境とか時間的制約によって、関係性ってびっくりするくらいいとも簡単に錆ついてしまうみたいなんです。ただ、これが言いたかったんですが、裏を返すと、後者の友人との関係性は意識的に定期で会ってお互いの話題をアップデートしたり時間を共有したり、要は錆つかないように定期的に油を注せばいくらでも継続していけるんですよね。
そんなことを考えつつ、昨日は大学時代の親友としばらくぶりに飲んできたのですが、やっぱり根っこの部分で馬が合ってる友達って、10分くらいで大学時代みたいに戻れるもんだなと改めて実感した訳です。そんなこんなで、これからはもうちょい会いたい人には意識的に定期で会って関係を錆つかせないようにしないといかんなと思った次第です。皆さんも、しばらく会ってない友人がもしいたら意識的に会ってみてはどうでしょうか、いや、何様だよって感じですが。
UNISON SQUARE GARDEN『春が来てぼくら』によせて
2018年3月7日、UNISON SQUARE GARDENがニューシングル『春が来てぼくら』をリリースした。表題曲の『春が来てぼくら』は、TVアニメ『3月のライオン』第2期の2クール目のOPテーマとして起用されている。
個人的な話なのだが、『3月のライオン』というマンガが本当に大好きだ。マンガ全体がまとっている雰囲気も好きだし、なにより登場するキャラクター全員がそれぞれの方向でめちゃくちゃに魅力的だからだ。だからこのタイアップが決まった時、最初はちょっと意味が分からないくらい嬉しかった。自分が大好きなもの同士のコラボレーションがこんなにワクワクするものだとは思っていなかった。
ただ一方で、このタイアップに関して一抹の不安もあった。なぜかというと、TVアニメ『3月のライオン』のOPテーマをつとめてきた楽曲たちのクオリティが余りにも高いからだ。 『アンサー』/BUMP OF CHICKEN、『さよならバイスタンダー』/YUKI、『フラッグを立てろ』/YUKI…どれもずっとOPとして使っていても良いくらいの名曲だ。そしてどの曲も、そのアーティストらしさ光らせながら、確かに『3月のライオン』のOPでしかないよねというバランスを成立させている。その流れの中、果たしてユニゾンがこのバトンをどう扱っていくのか楽しみ半分不安半分だったという訳だ。
しかし、いざ曲を聴いてみると、そんな心配なんて余計なお世話でしかなくて、これまでのユニゾンの楽曲でも群を抜いて輝きを放っているものになっている。それこそ、これまで『3月のライオン』のOPを飾ってきた名曲たちと比べても全く遜色無いくらいの曲だ。13回もの転調を繰り返す、ドラマチックに前に進んでいくような展開、『3月のライオン』の世界観が放っているやわらかさを彷彿とさせる、ちょっとびっくりするぐらいのストリングスのサウンド、そして、これから先の未来が輝きで満ちていることを確信させてくれる木漏れ日のようなメロディ。どこを取っても過去最高と言っていいのではないかと思うほどの楽曲だと思う。
その中でも、僕がこの曲を聴いて、とりわけグッと来たポイントがある。それが歌詞だ。これまでのタイアップ曲の歌詞といえば、作品の世界観を丁寧に汲みながらも、ユニゾンというバンドの方向性や譲れない部分、時には昨今のバンドシーンへの皮肉とも解釈できる言葉を織り込み、それをメロディに載せて斎藤(Gt./Vo.)が歌うとポップなところに着地する、みたいなものが多かった。例えば、『ボールルームへようこそ』のOP曲であった『Invisible Sensation』の
<これが喧々粛々囂々の成果だね ほらたくましい!地味だって指さされても>
という歌詞は、主人公の富士田多々良が、周囲から「競技ダンスやってるなんて変わってるね」とか「地味でリーダーに向いてない」とか言われながらも粛々と練習に励んで強くなっていった姿とも解釈できるし、ライブ中の観客への煽りを極限まで減らすスタイルを、地味だと言われながらも粛々とぶれずに続けた結果、他にかえのきかない存在へとなっていったユニゾンの姿とも解釈できる。こんな風に、「タイアップ先のファン」と「ユニゾンファン」の両方が満足出来るようなものになっていたのがこれまでのタイアップ曲だ。しかし逆にいうと、そこから外へは広がりにくい性質の曲であり、「タイアップ先のファン+ユニゾンファン」がそのままその楽曲の広がり具合とほぼイコールであった。
その一方で、今回の『春が来てぼくら』はどうだろうか。この曲も例に漏れず、タイアップ作品の世界観を汲みつつバンドの方向性も織り込まれている歌詞なのだが、これまでのタイアップ曲と大きく違う点が1つあると思う。それは、リスナーの生活や人生に寄り添った歌詞、つまりは自分の経験と重ねやすいような言葉が多く、想定される対象リスナーの幅がこれまでよりも広くなっているところだ。例えば
<右左どちらが正解なのか なかなか決められずに道は止まる けど浮かぶ大切な誰かに悲しい想いはさせない方へと>
という歌詞は、人生の岐路に立った時の迷いとその時取るべき行動の指針を表現していると解釈できる。人生の岐路における迷いというのは、大抵の人間が経験する普遍的なものだ。なので、多くのリスナーにとってこの歌詞は、自分の経験と重ねられてスッと心に入っていくはずだ。もちろん、様々な葛藤を抱えながら奮闘する『3月のライオン』のキャラクター像ともリンクしているし、ユニゾンがこれまで歩んできた道のりともリンクしている。つまりこの曲は、「タイアップ先のファン」と「ユニゾンファン」に加えて、普段どちらにも触れていない層にも間口が広がっているのだ。他にも
<夢がかなうそんな運命が嘘だとしても また違う色混ぜて また違う未来を作ろう 神様がほら呆れる頃きっと暖かな風が吹く>
<また春が来て僕らは ごめんね 欲張ってしまう 新しいのと同じ数これまでの大切が続くように、なんて>
<それぞれの理由を胸に僕らは何度目かの木漏れ日の中で 間違ってないはずの未来へ向かう その片道切符が揺れたのは追い風のせいなんだけどさ ちゃんとこの足が選んだ答だから、見守ってて>
などなど、『3月のライオン』の世界観とユニゾンが進んできた軌跡の両方にリンクしながら、ユニゾンらしい表現の面影は残しながらもその外側の人にも届きやすいような、自分の経験と重ねやすい普遍性を持った肯定的な歌詞がたくさん並んでいる。つまり、きっかけさえあれば、色々なところへ広がっていく可能性がある曲なのだ。いや、何もこれまでの曲が良くなかったと言いたい訳ではないし、むしろ呆れるほど好きだ。ただ、これまでの曲は「タイアップ先のファン」と「ユニゾンファン」に向いていたものであり、決してその外側へ間口が広がったものではなく、限定的で理解されにくいものだった。それは、何かのきっかけでユニゾンに興味を持った人に対する落とし穴でもあれば、既に落ちているファンを更なる深みに落とすための工夫、つまりは広さよりも深さを狙った、ファンを減らさないための工夫であり、それ故にファンは、「これは僕らの歌だ」と感じることが出来ている訳だ。
その一方で今回の『春が来てぼくら』という曲は、穴の深さはほぼ変わらないまま、入り口がめちゃくちゃにデカくなっている。メロディやサウンドを含め、この曲が持つ普遍性による間口の広さは、おそらく作品の世界観が呼んだものであり、彼らが自分たちの存在を広めることを目的としていることはまず絶対にあり得ないだろう。しかし、これは世間の耳に入ればまず間違いなく一発で広がっていくタイプの曲だ。それは、ユニゾンというバンドの方向性を考えると、そこからは大きく外れるし、変な広がり方をすることによるリスクがあるのも理解している。それでも、個人的にはこの曲は、『3月のライオン』とユニゾンの外側の人いるたくさんの人の生活や人生にも優しく寄り添う曲になって欲しいというかなるべきだと思うし、色々な人に「これは僕らの歌だ」と大切にされる曲になって欲しいなとも思っている。仮にこの曲が広まったとしても、彼らは<これまでの大切が続く>ような活動をきっと貫いてくれるはずだ。だからこそ、この曲が世間に知られて、「僕ら」の範囲がじわじわと広がっていって欲しい、そう願うばかりである。
ここからは少し話が逸れるので余談だが、この『春が来てぼくら』、いつもの彼ららしいトゲややり散らかしてる感が薄いのもまた事実だ。しかし、そんな心配はバチバチのカップリング2曲が一瞬で吹っ飛ばしてくれた。『春が来てぼくら』がポップに振り切った最高到達点とするならば、『ラディアルナイトチェイサー』はその真逆のロックに振り切った最高到達点であり、『Micro Paradiso!』はユニゾンのド真ん中とも言えるポップとロックが最高のバランスで融合した曲の最高到達点だ。『春が来てぼくら』がユニゾンにとってもファンにとっても「僕らの歌」であることは間違いないが、カップリングを含めた3曲全て合わさって初めて、今の無敵なUNISON SQUARE GARDENの全貌なのだなと感じた。
『春が来てぼくら』でユニゾンに興味を持った人の中には、カップリングの2曲がピンと来ない人もたくさんいると思うが、その人にとって『春が来てぼくら』が大切な曲になれば、それはそれで良い気がする。一方で、カップリング2曲も含めて穴に落ちるモノ好きもきっといるのだろう。そんな物好きはライブに行ったり、過去のアルバムを聴いたりして、その釣り針の返しのような罠にどんどんはまっていくのだろう。そういう意味で、このシングルはユニゾンの入り口から落とし穴まで見事に揃った3曲が詰めこまれた、最高なバランスを持った1枚なのだ。
星野源『ドラえもん』感想
2018年2月28日、星野源のニューシングルである『ドラえもん』がリリースされた。表題曲は、『映画 ドラえもん のび太の宝島』の主題歌として書き下ろされた楽曲だ。また、カップリングとして収録されている『ここにいないあなたへ』も、同映画の劇中歌として使用されている。
まず、「星野源の新曲が劇場版ドラえもんの主題歌に決定」というニュースを見て、そんなの聴くまでもなく国民的なヒットソングになるじゃない!ズルいよ、反則だ!と真っ先に思った。そしていざ曲名が発表されたと思ったら『ドラえもん』ときた。いや、それもう犬にポチって名前つけるより5億倍直球で、真っ直ぐすぎてむしろ曲がって見えるんですけどって感じだ。しかも普通のアーティストの場合、タイアップの作品に寄せすぎたタイトルやフレーズを作ると、誤解を恐れずに言うのであれば、大抵めちゃダサになるのがセオリーだが、残念なことにこの曲はそうはなってない。いや、ダサいといえばダサいのだけど、それすら大衆性としてポップなところに着地させていているのだ。これは、「星野源×ドラえもん」という、今をときめく大スターと、もはや血液レベルで日本人に染みついているであろうアニメとのコラボレーションだからこそ生まれた稀有な化学反応だろう。逆に言えば、いま日本でこの化学反応を成しえるのはこの組み合わせしかないくらいだと思う。そしておそらく星野源は、日本における今の自分の立ち位置を自覚して、今の立ち位置なら出来るという確信の下、この曲を作っていそうなところがまためちゃくちゃに憎いところだ。
ここまでの前提条件だけでめちゃくちゃに間口の広くなりそうなこの曲だが、楽曲の力がそれを更に四次元のごとくおし広げている。間口を広げている要素は、当然といえば当然だが、歌詞とメロディだ。
歌詞は<落ちこぼれた君も 出来すぎあの子も>とか<拗ねた君も 静かなあの子も>のように、それこそドラえもんのライトなファンもすぐに気づくようなものから、<少しだけ不思議な 普段のお話>とか<台風だって 心を痛めて 愛を込めて さよならするだろう>のように、コアなドラえもんファンも思わずにっこりしてしまうような歌詞まで、誰もが親しむことが出来るような仕掛けがしてある。また、サビの最後にくる<どどどどどどどどど ドラえもん>なんか、ドラえもん最大のターゲットであろう子どもにぶっ刺さりそうなフレーズだ。
メロディものっけから「笑点」感満載の少しどころかめちゃ不思議だけど人懐っこいリフでリスナーの心をつかんだと思ったら、サビでは星野源の中でも飛びぬけて分かりやすくポップなメロディになったり、しまいには間奏にあの曲のメロディが差し込まれていたりと、もうやりたい放題だ。それでも全体としてのメロディは破綻していないどころか最高のポップソングに着地しており、星野源のコアなファンの心も掴むものになっているはずだ。
こんな風に歌詞もメロディもやりたい放題にやった結果、星野源のライトなファンからコアなファン、ドラえもんのライトファンからコアファン、子どもから大人と、全日本人を巻き込む方向へ恐ろしいほどに間口が広がった曲になっている。
そして、間口が広いということとほぼイコールではあるが、この曲は仲間はずれをつくらない歌となっており、そこがドラえもんの物語とも上手くリンクして、この曲をドラえもんの主題歌たらしめていると思う。その最も象徴的な歌詞が<何者でもなくても世界を救おう>だ。自分を含め、世の中大抵の人間は何者でもない普通の人間だ。ドラえもんに登場するキャラクターだって同じように何者でもない普通の人間だけど、何かを救うために奮闘して輝いている。そんな風に誰だって何かを救い、どこかの世界の主人公になれるのだという部分を、このフレーズはズバリと言い当てているように思う。だからこそ、この曲はドラえもんそのものと同じように仲間はずれを作らない空気感をまとったものになっているのだと思う。
これだけ間口が広くて仲間はずれを作らない曲だ、きっと2018年代表するような国民的ヒットソングになるのだろう。『SUN』以降、世の中からの期待に答えつづけ、『恋』で頂点を迎えたように見えたこのタイミングで、更にこの曲を出してくる彼がもはや恐ろしい。しかし、それらの曲が1枚のアルバムに入って発売されることを想像しただけで今からワクワクが止まらない。星野源の一人勝ち独走状態は、しばらく終わることが無さそうだ。