「サブスクって本当にハッピーですか?」を朝ドラとチェンソーマンから考える

 こんにちは~。ハイパー久しぶりに気まぐれで文章を書きたくなりました。最近同じような悩みを抱えている人に何人か出会ったので、そのことについて考えの整理も兼ねて書き起こしてみます。

 

 

はじめに

 この5年~10年における社会変化のうち、最も大きい変化の一つとして「サブスクリプションサービス(以下サブスク)の台頭によるコンテンツ消費スタイルの変化」が挙げられるのではないでしょうか。サブスク以前の社会では、音楽・映画・アニメなどのコンテンツは、欲しい物を一つ一つ個別で所有するという形が大多数でした。一方サブスク以後は、大量のコンテンツを定額で利用出来るようになりました。

 私自身、色々なコンテンツを楽しむのが好きなので、サブスクによる恩恵は非常に多く受けている側の人間です。しかしながら、サブスク台頭後それなりに時間が経ってきた昨今、「サブスク疲れ」のような物を感じるようになってきました。それって何でなんだろう?と考えていた最中にとっても象徴的な対比を見つけたので、その話をベースに、「コンテンツの消費スタイルはサブスク前後のどちらがハッピーなの?」を考えたくて文章を書いてみています。あくまで私自身の消費スタイルに基づいた考察ですので、必ずしも一般化できていない部分があることはご了承下さい。

 まずはサブスク前後でのコンテンツの消費スタイルを整理してみたいと思います。

 

サブスク以前のコンテンツ消費様式

 サブスク以前の社会においては、コンテンツは一つ一つお金を払って購入して所有する必要がありました。(レンタルの場合所有にはなりませんが、消費する量が増えれば増えるほどコストが増える変動費的な消費なので、その意味ではサブスク以前の文化だと思います。)

 こういった消費スタイルの場合、よほどのお金持ちでもない限りは所有できるコンテンツの上限は少なくなります。一方で可処分時間は定数であり、基本的にはサブスク前後で変化は大きくないと仮定すると、コンテンツ一つあたりに割く時間は今と比べて多かったと考えられます。言い換えれば、一つの音楽・映画・アニメを大事に何回も繰り返し視聴することが出来ていました。この「一つのコンテンツを繰り返し視聴すること」が、サブスク以前の消費スタイルの最も特徴的な点の一つではないでしょうか。

 では、この特徴によって生み出されるものは何でしょうか?それは「愛着」だと私は思います。音楽・映画・アニメのようなコンテンツを繰り返し視聴することによって、新たな気付きや発見をしたことが皆さんもあるのではないでしょうか。その時置かれている立場や環境、感情によって見え方が変わり、それまで刺さらなかったものが刺さったり、刺さっていたものが刺さらなくなったり、そういった体験を重ねながら一つ一つが自分の中で馴染んで育っていき、それが愛着となっていくのだと思います。

 余談ですが、音源でしか聴いてなかった楽曲をライブで聴くことによって以前より好きになって音源を聴く回数が増えて好きになっていくのも同じようなプロセスだと思います。

 

サブスク以後のコンテンツ消費様式とサブスク疲れ

 サブスク以後の社会においては、大量のコンテンツを定額で利用出来るようになりました。例えば、サブスク以前においてはCDアルバムを1枚聴きたいと思ったら2~3,000円/枚がかかりましたが、サブスクの登場によって1,000円前後/月という低価格で何曲でも聴けるようになった訳です。すると、自分を含めて多くの人がサブスクへ移行していくことになります。結果として、毎週の様にリリースされて降ってくる新しいコンテンツを追っかけて行くような形に消費スタイルが変わっていきます。

 片や、個人の可処分時間は以前とさほど変わりませんので、一つコンテンツに割ける時間は当然短くなっていきます。言い換えれば、一つコンテンツを繰り返し視聴するという体験が少なくなっているということになります。結果的に、コンテンツ消費の絶対量は増えていきますが、一つ一つのコンテンツを大事にすることは難しく、愛着を持つコンテンツが少なくなっているように感じます。

 個人的な感覚ですが、コンテンツをインプットして楽しむのではなく、消費している気持ちが強くなっています。きっと「サブスク疲れ」なんだろうなと思いますが、これはあまりハッピーな状況じゃないなと感じることが増えました。

 

消費スタイル変化の象徴としての朝ドラとチェンソーマン

 ここまではサブスク前後でのコンテンツの消費スタイルの変化とそれに伴う作品への愛着の変化についてまとめてきました。そして、最近この消費スタイル変化の前後を象徴する事例に丁度出会ったので、その比較から「コンテンツの消費スタイルはサブスク前後のどちらがハッピーなの?」という問いに対して自分の答えを出していきたいと思います。

 その事例は、朝ドラの主題歌とチェンソーマンのEDです。朝ドラはNHK朝の連続テレビ小説のことで、毎週月~金の朝15分間放映されており、毎朝OPとして主題歌が流れます。朝ドラは半年間で計130話前後放映されますので、視聴者は主題歌も130回聴くことになります。そして、毎日少しずつ進んで変化していくストーリーに主題歌の歌詞や雰囲気が重なって、主題歌への愛着も徐々に沸いていきます。そんなに好きなアーティストじゃないなと思っていても、毎朝聴いてストーリーと重ねていくと不思議と愛着が沸いてきてしまうのです。これは、サブスク以前のコンテンツ消費スタイルと符合するように思います。ちなみに今期の「舞いあがれ!」は最高なので今からでも追ってください。

 一方で、その対極にあるのが10月から始まったTVアニメ チェンソーマンのEDテーマです。チェンソーマンのEDは週替わりで、毎週違うアーティストの違う曲がEDとして流れます。そして、EDで流れた直後にサブスクで音源がリリースされるという、非常にワクワクさせられる手法が取られています。これは完全に朝ドラとは対極で、サブスク以後の文化として非常に象徴的だと思います。一つED曲を毎週のストーリーから多面的に捉え、繰り返し聴くことでアニメ本編と一緒に愛着を深めていくのではなく、「今週は誰のどんな曲だろう?」というような期待感や高揚感が短期的に作品に上乗せされる形になっています。

 個人的に、この手法で12話が終わった時にその後も繰り返し聴くような思い入れの深い曲が出来るかというと疑問に思いますが、サブスク以後に定着した消費スタイルとは非常に相性が良く、アニメが広くバズるという点においては最高な手法だと思います。あくまで高揚感や話題性と愛着の深さとのトレードオフの話なので良し悪しの議論ではないですが、これをベースに結論を出していきたいと思います。

どっちがハッピー?

 では、消費スタイルとしてサブスク前後はどちらの方がハッピーなのでしょうか?個人的には、ED曲が毎週変わると愛着が沸く入口は減ってしまうかなと思ってしまいます。もちろん短期的な盛り上がりは大きいですが。なので、朝ドラ主題歌のようなサブスク以前の消費スタイルの方が、サブスク以後のそれよりもハッピーだなというのが私の結論です。

 一方で、サブスクによる恩恵を大きく受けているのもまた事実です。例えば、サブスクが無ければ進んで聴かなかったアーティストにハマったり、当時余裕が無くて見逃していたドラマや映画を気軽に視聴したりすることが出来ています。結果として、サブスクで知ったコンテンツを自分で購入して所有しているケースもあります。そのため、全てのサブスクを解約してコンテンツを購入するスタイルに回帰すれば解決するかというと、そんなことも無さそうです。

 ですから、サブスクを使うor使わないではなく、使い方で消費の量と質のトレードオフを意識的にコントロールしていくしか無いのだと思います。日々更新され降ってくる新しいコンテンツに対して「あれもこれも手に取らなくては」と、その膨大な選択肢に片っ端から手を伸ばすのではなく、自分の可処分時間を考慮して適切な量に絞った消費を行っていく必要があると思います。そうすることで、自分の中に何も残らないような消費は避けられるのではないかというのが私なりの解決策です。

 そもそもコンテンツを楽しむこと自体が自分の幸福度を高めるための娯楽・嗜好品です。ですので、シンプルに自分の幸福度が最大になるような選択をすれば良いだけなのですが、これだけ大量のコンテンツが手軽に利用可能な状況だと、楽しんでいるつもりがいつの間にかただ消費させられていることになってしまいがちです。それはあまりハッピーではないので、そうならないような形で、これからもよりハッピーになるべくコンテンツと向き合っていければ良いなと思います。