UNISON SQUARE GARDEN『春が来てぼくら』によせて

 2018年3月7日、UNISON SQUARE GARDENがニューシングル『春が来てぼくら』をリリースした。表題曲の『春が来てぼくら』は、TVアニメ『3月のライオン』第2期の2クール目のOPテーマとして起用されている。

 

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 個人的な話なのだが、『3月のライオン』というマンガが本当に大好きだ。マンガ全体がまとっている雰囲気も好きだし、なにより登場するキャラクター全員がそれぞれの方向でめちゃくちゃに魅力的だからだ。だからこのタイアップが決まった時、最初はちょっと意味が分からないくらい嬉しかった。自分が大好きなもの同士のコラボレーションがこんなにワクワクするものだとは思っていなかった。

 

 ただ一方で、このタイアップに関して一抹の不安もあった。なぜかというと、TVアニメ『3月のライオン』のOPテーマをつとめてきた楽曲たちのクオリティが余りにも高いからだ。 『アンサー』/BUMP OF CHICKEN、『さよならバイスタンダー』/YUKI、『フラッグを立てろ』/YUKI…どれもずっとOPとして使っていても良いくらいの名曲だ。そしてどの曲も、そのアーティストらしさ光らせながら、確かに『3月のライオン』のOPでしかないよねというバランスを成立させている。その流れの中、果たしてユニゾンがこのバトンをどう扱っていくのか楽しみ半分不安半分だったという訳だ。

 

 しかし、いざ曲を聴いてみると、そんな心配なんて余計なお世話でしかなくて、これまでのユニゾンの楽曲でも群を抜いて輝きを放っているものになっている。それこそ、これまで『3月のライオン』のOPを飾ってきた名曲たちと比べても全く遜色無いくらいの曲だ。13回もの転調を繰り返す、ドラマチックに前に進んでいくような展開、『3月のライオン』の世界観が放っているやわらかさを彷彿とさせる、ちょっとびっくりするぐらいのストリングスのサウンド、そして、これから先の未来が輝きで満ちていることを確信させてくれる木漏れ日のようなメロディ。どこを取っても過去最高と言っていいのではないかと思うほどの楽曲だと思う。

 

 その中でも、僕がこの曲を聴いて、とりわけグッと来たポイントがある。それが歌詞だ。これまでのタイアップ曲の歌詞といえば、作品の世界観を丁寧に汲みながらも、ユニゾンというバンドの方向性や譲れない部分、時には昨今のバンドシーンへの皮肉とも解釈できる言葉を織り込み、それをメロディに載せて斎藤(Gt./Vo.)が歌うとポップなところに着地する、みたいなものが多かった。例えば、『ボールルームへようこそ』のOP曲であった『Invisible Sensation』の

 

<これが喧々粛々囂々の成果だね ほらたくましい!地味だって指さされても>

 

という歌詞は、主人公の富士田多々良が、周囲から「競技ダンスやってるなんて変わってるね」とか「地味でリーダーに向いてない」とか言われながらも粛々と練習に励んで強くなっていった姿とも解釈できるし、ライブ中の観客への煽りを極限まで減らすスタイルを、地味だと言われながらも粛々とぶれずに続けた結果、他にかえのきかない存在へとなっていったユニゾンの姿とも解釈できる。こんな風に、「タイアップ先のファン」と「ユニゾンファン」の両方が満足出来るようなものになっていたのがこれまでのタイアップ曲だ。しかし逆にいうと、そこから外へは広がりにくい性質の曲であり、「タイアップ先のファン+ユニゾンファン」がそのままその楽曲の広がり具合とほぼイコールであった。

 

 その一方で、今回の『春が来てぼくら』はどうだろうか。この曲も例に漏れず、タイアップ作品の世界観を汲みつつバンドの方向性も織り込まれている歌詞なのだが、これまでのタイアップ曲と大きく違う点が1つあると思う。それは、リスナーの生活や人生に寄り添った歌詞、つまりは自分の経験と重ねやすいような言葉が多く、想定される対象リスナーの幅がこれまでよりも広くなっているところだ。例えば

 

<右左どちらが正解なのか なかなか決められずに道は止まる けど浮かぶ大切な誰かに悲しい想いはさせない方へと>

 

という歌詞は、人生の岐路に立った時の迷いとその時取るべき行動の指針を表現していると解釈できる。人生の岐路における迷いというのは、大抵の人間が経験する普遍的なものだ。なので、多くのリスナーにとってこの歌詞は、自分の経験と重ねられてスッと心に入っていくはずだ。もちろん、様々な葛藤を抱えながら奮闘する『3月のライオン』のキャラクター像ともリンクしているし、ユニゾンがこれまで歩んできた道のりともリンクしている。つまりこの曲は、「タイアップ先のファン」と「ユニゾンファン」に加えて、普段どちらにも触れていない層にも間口が広がっているのだ。他にも

 

<夢がかなうそんな運命が嘘だとしても また違う色混ぜて また違う未来を作ろう 神様がほら呆れる頃きっと暖かな風が吹く>

 

<また春が来て僕らは ごめんね 欲張ってしまう 新しいのと同じ数これまでの大切が続くように、なんて>

 

<それぞれの理由を胸に僕らは何度目かの木漏れ日の中で 間違ってないはずの未来へ向かう その片道切符が揺れたのは追い風のせいなんだけどさ ちゃんとこの足が選んだ答だから、見守ってて>

 

などなど、『3月のライオン』の世界観とユニゾンが進んできた軌跡の両方にリンクしながら、ユニゾンらしい表現の面影は残しながらもその外側の人にも届きやすいような、自分の経験と重ねやすい普遍性を持った肯定的な歌詞がたくさん並んでいる。つまり、きっかけさえあれば、色々なところへ広がっていく可能性がある曲なのだ。いや、何もこれまでの曲が良くなかったと言いたい訳ではないし、むしろ呆れるほど好きだ。ただ、これまでの曲は「タイアップ先のファン」と「ユニゾンファン」に向いていたものであり、決してその外側へ間口が広がったものではなく、限定的で理解されにくいものだった。それは、何かのきっかけでユニゾンに興味を持った人に対する落とし穴でもあれば、既に落ちているファンを更なる深みに落とすための工夫、つまりは広さよりも深さを狙った、ファンを減らさないための工夫であり、それ故にファンは、「これは僕らの歌だ」と感じることが出来ている訳だ。

 

 その一方で今回の『春が来てぼくら』という曲は、穴の深さはほぼ変わらないまま、入り口がめちゃくちゃにデカくなっている。メロディやサウンドを含め、この曲が持つ普遍性による間口の広さは、おそらく作品の世界観が呼んだものであり、彼らが自分たちの存在を広めることを目的としていることはまず絶対にあり得ないだろう。しかし、これは世間の耳に入ればまず間違いなく一発で広がっていくタイプの曲だ。それは、ユニゾンというバンドの方向性を考えると、そこからは大きく外れるし、変な広がり方をすることによるリスクがあるのも理解している。それでも、個人的にはこの曲は、『3月のライオン』とユニゾンの外側の人いるたくさんの人の生活や人生にも優しく寄り添う曲になって欲しいというかなるべきだと思うし、色々な人に「これは僕らの歌だ」と大切にされる曲になって欲しいなとも思っている。仮にこの曲が広まったとしても、彼らは<これまでの大切が続く>ような活動をきっと貫いてくれるはずだ。だからこそ、この曲が世間に知られて、「僕ら」の範囲がじわじわと広がっていって欲しい、そう願うばかりである。

 

 

 

 ここからは少し話が逸れるので余談だが、この『春が来てぼくら』、いつもの彼ららしいトゲややり散らかしてる感が薄いのもまた事実だ。しかし、そんな心配はバチバチのカップリング2曲が一瞬で吹っ飛ばしてくれた。『春が来てぼくら』がポップに振り切った最高到達点とするならば、『ラディアルナイトチェイサー』はその真逆のロックに振り切った最高到達点であり、『Micro Paradiso!』はユニゾンのド真ん中とも言えるポップとロックが最高のバランスで融合した曲の最高到達点だ。『春が来てぼくら』がユニゾンにとってもファンにとっても「僕らの歌」であることは間違いないが、カップリングを含めた3曲全て合わさって初めて、今の無敵なUNISON SQUARE GARDENの全貌なのだなと感じた。

 

 『春が来てぼくら』でユニゾンに興味を持った人の中には、カップリングの2曲がピンと来ない人もたくさんいると思うが、その人にとって『春が来てぼくら』が大切な曲になれば、それはそれで良い気がする。一方で、カップリング2曲も含めて穴に落ちるモノ好きもきっといるのだろう。そんな物好きはライブに行ったり、過去のアルバムを聴いたりして、その釣り針の返しのような罠にどんどんはまっていくのだろう。そういう意味で、このシングルはユニゾンの入り口から落とし穴まで見事に揃った3曲が詰めこまれた、最高なバランスを持った1枚なのだ。

 

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