聖地としての日本武道館は消えてしまうのか

 前回の記事、たくさん反応頂けて結構真面目にびっくりしました…!どの反応もうれしかったのですが、「同じことを疑問に思っていたけど納得した」や「記事を見てCIDER ROADを改めて聴き直した」みたいな反応を貰えたのは素直にめちゃくちゃ嬉しかったです。読んで頂いた方、ありがとうございました!

 さて、今回もぼんやり思っていたけれどもしっかりと頭の中でちゃんとまとめたことが無かったシリーズで、「最近、聖地としての日本武道館の価値が下落しているように感じるがそれは何故なのか?」ということについて書いてみました。「最近、武道館安売りしぎじゃない?」と思っている方も、「浅いキャリアですぐ武道館公演やっても別によくない?」と思う方も、暇つぶしに読んでいただければ嬉しいです。

 

聖地としての日本武道館

 

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 「日本武道館」と聞いて皆さんは何を思い浮かべますか?答えは色々あるとは思いますが、この文章を読んでいる人であれば8割方「ミュージシャンの聖地」と答えるのではないでしょうか。そもそも武道館は、1964年の東京五輪の際に武道競技会場として建設されました。その後、1966年にミュージシャンとして初めて武道館のステージに上がったのがかのビートルズです。当時は現在よりも「日本武道の聖地」という意味合いが強かったこともあり、波紋を呼んだようですが、結果としてビートルズを皮切りに、国内外の様々な著名ミュージシャンが武道館でライブを重ねていくようになりました。その中には、解散などの大きな節目に初めて武道観公演を行ったようなミュージシャンもたくさんいれば、武道館のステージに142回も立っている矢沢永吉のような恐ろしいミュージシャンまで様々です。しかし、一つだけ確かに言えることは、日本武道館は、建設されてから現在までの長くて尊い歴史を、音楽と共に刻んできたということです。そういった歴史を刻んでいく中で、武道館のステージに立つことはミュージシャンにとっての大きな憧れや目標となり、いつしか“聖地”として扱われていくようになりました。

 

武道館の価値のインフレ

 

 しかし、その“聖地”としての武道館の価値は、近年じりじり下落していると言わざるを得ない状況にあるような気がします。そもそも、聖地としての武道館が価値をもっている理由は2つあると考えていて、1つは上で述べた通り刻まれてきた歴史があること。もう1つは、長い時間をかけても中々たどり着けない場所だという面があることです。この2つが重なり合い、なかなかたどり着けない聖地にたどり着いた瞬間の感動が、ミュージシャン・ファン双方にとっての大きな価値になっているのかなと思います。しかし近年、結成orデビューして間もない若手ミュージシャンの初武道館公演が、明らかに急増しているように思えます。分かりやすくするために非常に乱暴な表現を使いますが、いとも簡単に聖地のステージに上がるミュージが増えているように思えるのです。ここで、結成から初武道館公演を達成するまでかかった年数の下落トレンドを表す時系列データでも示せれば説得力があってかっこいいのですが、無理でした、ごめんなさい笑。それなので、この記事も数ある意見の一つの程度に考えてもらえたらいいかなと思います。話はそれましたが、相次ぐ若手アーティストの初武道館公演によって、武道館の聖地としての価値がインフレを起こしているような気がしてならないのです。

 

相次ぐ若手ミュージシャンの武道館公演とその要因

 

 では、いとも簡単に初武道館公演を達成する若手ミュージシャンが急増しているのは何故なのでしょうか?個人的に、これには2つの理由があると思っています。

 

 1つ目は、ライブ人口の増加によって、集客が以前よりも容易になっているということです。ぴあ総研の『2016ライブ・エンタテイメント白書』によれば、国内のライブ市場は2006年から2015年の間に1,527億円から3,405億円へと2倍以上に拡大したとのこと。ちなみに、ライブ動員数は2,454万人から4,486万人と、こちらもほぼ2倍に拡大しています。これらの数字を見る限り、ライブへ足を運ぶ人の数は明らかに増加していると推察できます。言い換えれば、「ライブへ行く」ということへのハードルが、ぐっと下がっているということになります。つまり、人気や実力がそこまで突き抜けていないようなミュージシャンでも、8,000~10,000人程度である武道館のキャパシティを埋めることは、昔と比べて難しいことでは無くなってきているということです。

 

 2つ目は、ミュージシャンが持つ武道館に対する意識の変化です。どんな変化かというと、一般的にこれまでは価値のある大きな“目的地”であった武道館が、数ある“通過点”の1つへと変化してきているのです。極端に言うと、それなりの大きなキャパを持った会場の1つに過ぎない存在になっているということです。では、いったいどこへ向かうための通過点なのかというと、武道館よりも大きなキャパシティを持った、アリーナやドームといった会場です。昨今、アリーナやドームクラスで行われるライブが明らかに増えてきている印象があります。実際に、ぴあ総研の『2016ライブ・エンタテイメント白書』によれば、ライブの年間公演回数は2006年の47,632回から2015年の56,042回と、上で示した市場規模の上昇と比較すると緩やかな上昇となっており、ライブ1回あたりの動員数が増えていること、つまり、アリーナやドームで行われるライブが増えてきていることが推察されます。アリーナやドームといった会場でのライブの出現によって、これまでミュージシャンにとって絶対的な到達点であった武道館が、更に大きな会場へ向かうための数ある通過点の1つに過ぎない存在へと変化してきているのではないでしょうか。

 

 また、そういった意識の変化を起こしている要因は、大会場でのライブの出現以外にもあると考えています。それがフェスの増加です。これは各所で述べられていることではあるので今更感もありますが、フェスには明確なストーリー性が存在します。フェスの会場では、キャパシティ別にステージがいくつにも分かれており、出演アーティスト同士でより大きなキャパシティのステージを奪い合うゼロサムゲームが行われています。小さなステージで演奏していたアーティストが、そのステージを入場規制にし、翌年はより大きなステージへ進んでいくというストーリーに、観客は心を奪われるのです。更に、最近はTwitter等のSNSを通じて、そういった観客のリアルな感動をアーティスト側が直接的に受け取ることが出来ます。簡単に言うと、演者と観客の間に相互依存が発生しているのです。そして、一度そういった相互依存が発生すると、アーティスト側は「何としてでも次のステージに進まなければならない」という強迫観念に駆られていくことが容易に想像できます。こういったスパイラルが、フェスの絶対数増加という要因も相まって何度も何度も繰り返されていき、その結果として、次のステージに進むこと、つまりは「より多くの動員数」が大事であるという価値観が幅を利かせるようになってきているということです。そういった価値観が大きくなることによって、キャパシティにおいてアリーナやドームに見劣りしてしまう武道館は、大会場へと向かうための通過点として必要な、それなりに大きな会場の1つに過ぎない存在であるという意識へ変化してきているのではないでしょうか。

 

 ごちゃごちゃしたので簡単にまとめると、デビューして間もない若手ミュージシャンの初武道館公演が急増している理由は「集客が容易になっていること」と「武道館に対するミュージシャンの意識が変化していること」の2点で、前者は「ライブ人口の増加」、後者は「フェスの増加によって、動員数やキャパシティを重要視する価値観が浸透してきたこと」が理由だということです。(ライブ人口の増加の一端を担っているのもフェスのような気はしますが…。)

 

長い時間を掛けて武道館へたどり着いたミュージシャンとその価値観

 

 いとも簡単に初武道館公演を達成するミュージシャンが増えている一方で、デビューから初武道館までに長い年月がかかったバンドもたくさんいます。その代表格としてあげられるのが、スピッツthe pillowsフラワーカンパニーズといったベテラン勢を中心としたミュージシャンです。彼らが初武道館公演を達成したのは、結成orデビューから少なくても20年以上が経ってからのことです。初武道館のステージに立つまで時間がかかった背景はバンドによって様々ですが、共通して言えることが1つあります。それは、時間がかかって(あるいは意図的に時間をかけて)たどり着いた場所だからこその感動があるということです。例えば、the pillows山中さわおさん(Gt./Vo.)は、武道館公演の中でこんな言葉を残しています。

 

「長い間、音楽業界の端っこで流行りもしない音楽を鳴らしていました。今日、武道館のステージに立って、何かを、何かを成し遂げたんだったら…もし、もしそうなら…俺は嬉しいぞ!」

 

「涙が出そうになるくらい嬉しかった事なんてほとんど無かったけど、今日ここで君たちに出会えたことがそのひとつになりました。ありがとう!」

<BARKSの記事(2009.9.18)より引用>

 

 

 長年追い続けてきたバンドに聖地でこんなこと言われたら、そりゃあ感動せざるを得ないですね…笑。僕自身、the pillows含め上に書いたアーティストの武道館公演には足を運べていないのですが、ライブ後のSNSやレポートから伝わってくる熱量が、若手バンドのそれとは全く別物だなと強く感じたことは覚えています。もちろん、デビュー早々に武道館にたどり着いたミュージシャンのライブにだって感動はあるのかと思いますが、こういった圧倒的な説得力を持つ感動的な言葉を紡げるのも、そのアーティストが長い年月をかけて武道館にたどり着いたという文脈があってこそだと思います。

 

 また、上記の言葉から、the pillows自身が武道館公演に対して物凄く喜んでいることが分かります。では、それは何故なのでしょうか?武道館のキャパを埋めたことでしょうか?その先にあるアリーナやドーム公演へ辿り着ける未来が見えたからでしょうか?僕は多分違うと思います。彼らが喜んでいるのは、長年音楽を続けてきてようやく武道館という聖地にたどり着き、かつ長年それを見守ってきてくれたファンと共にそのことをお祝い出来ているからなのではないでしょうか。つまり、彼らにとっての武道館公演は、8,000~10,000人くらいのキャパシティを持った会場でライブが出来たという“量的”な価値観ではなく、歴史ある聖地でファンとお祝いが出来たという“質的”な価値観で捉えられているということです。そしてこの“質的”な価値観こそが、武道館の歴史と共に刻まれてきた価値観であり、この価値観が武道館の聖地としての価値を守ってきたのだと思います。

 

まとめと個人的な意見

 

 ここまで、武道館公演の価値が下がってきている問題ついて、浅いキャリアで武道館公演を達成したアーティストと、長い時間を掛けて武道館公演を達成したアーティストと対比させる形でその原因について考えてきました。前者の量的な価値観が幅を利かせてきたことによって、後者の質的な価値観がいまや絶滅危惧種状態となり、浅いキャリアのアーティストの武道館公演が急増していることが原因としてあるのではないかなというのが今回の結論です。   

 

 誤解を招きそうなので弁解しておきますが、客観的な視点で考えたとき、浅いキャリアで武道館のステージに上がることが悪いことだとは僕は思いません。なぜなら、時代が変われば価値観も変わるのは当然で、武道館に対する価値観も、時代や外的環境の変化とともに質的なものから量的なものに変わり、それに伴って聖地としての価値も段々と薄れてきた、ただそれだけの事実です。そこに良いも悪いも無いのかなと思います

 

 さて最後に、これは100%僕の個人的な意見です。最近の流れを見ていると、どうしてもモヤっとした疑問が浮かんできます。それは、量的な価値観の下に武道館のステージに上がったアーティストが、武道館の質的な価値観に頼っているように見えることです。もう少し具体的にいうと、更に大きなステージへの通過点として武道館に立ったキャリアの浅いアーティストが、「ようやくたどり着いた」感を煽り、聖地としての武道館の価値を強調しているように見えることが少し疑問なのです。なぜなら、強調しているその聖地としての価値を下落させている要因の一端を担っているのは自分達自身であり、それによって、今後質的な価値観の下に武道館公演をやるアーティストの価値を落としてしまっているということに全く無自覚であるように見えるからです。もし浅いキャリアで武道館公演を切るのであれば、「徹底的に量的な価値観に振り切る」 or 「聖地としての価値に傷をつけてでもステージに立つという相応な覚悟を持つ」ことが、聖地としての武道館の価値これ以上落とさないためには必要なのかなあと思います。

 

 以上です。長々とお付き合い頂きありがとうございました!今年は年間ベスト的なやつ含めてあと2回くらい書こうかなと思っているので、気が向いたら是非読んでやってくださいね。それではまた~

 

【参考URL】

①ぴあ総研『2016ライブ・エンタテイメント白書 サマリー』

http://corporate.pia.jp/news/live_enta2016_summary.pdf

②BARKS『「涙が出そう・・・」結成20周年のthe pollows、初の武道館ライブで1万人が祝福』

https://www.barks.jp/news/?id=1000053194