『CIDER ROAD』と「名前」について

折角One roll, One romanceツアーの高知公演に参加したので、そのレポでも書こうかなあとも思ったんですが、ライブ中にとある(ウルトラ個人的な)事件があって、それ以降の記憶が無いに等しい程度には曖昧なので、他の公演で記憶が鮮明なときに書こうと思います。で、かわりに今回何を書こうかなあどうしようかなあと色々考えたのですが、これまでずっと不思議に思っていたけど深くは考えてこなかったことがあって、良い機会なのでそれについて自分の中で整理する意味も兼ねてつらつらと書こうかなと思います。今から書くことは半分妄想で真実とは限らないので、あくまでも一つの考察として読んでいただけると嬉しいです。まともに書けるか不安ですが、ぱにゃにゃん。

 

さて、今回はUNISON SQUARE GARDENのメジャー4thアルバム『CIDER ROAD』について書いてみようかなと思います。僕自身、世の中に存在するアルバムの中でこのアルバムが1番好きだと胸を張って言える程最高なアルバムなのですが、多分最高なことは大方の人が知っているし、色んな人がこのアルバムの良さについては既に語ってくれていると思うので、ちょっとだけ違う切り口で考えてみます。

 

「cider road」の画像検索結果 

 

その切り口は“歌詞”です。実はこのアルバム、収録されている曲の歌詞に少し不思議な共通点があります。実際にその該当部分を見てみましょう。

 

 

【「like coffeeの呪文でいつでもそこに出会えるよ、バイバイ」 そして僕は君の名前を呼んだ・・・今!】

<like coffeeのおまじない>

 

【揺れる感情の渦で 触れる感情の名前呼んで 名前ないなら適当に付けよう 確かそんな法律もあったし】

<お人好しカメレオン>

 

【なんて名付けよう まだ小さな僕の感情が 生み出す世界の 端っこに浮かぶ何か】

<光のどけき春の日に>

 

【君の名前を呼ぶよ 大切でほら 譲れない名前を 僕だけが知ってる だから優しい声で、君はともだち】

<君はともだち>

 

【ちゃんと名前もある 譲れない物もある】

<シャンデリア・ワルツ>

 

 

 

分かりましたでしょうか?実はこのアルバム、結構異常な頻度で「名」や「名前」と言う歌詞が出てきます。このアルバム以外の曲にも名前に関する歌詞は出てはきますが、ちょっと偶然とは言い切れない頻度だと思います。では何故、名前に関する歌詞がここまで多用されているのでしょうか?僕なりに一つずつ考えてみました。

 

「名前」とは?

そもそも、「名前」という言葉はどういった意味を持っているのか、久しく引いてなかった国語辞典を引いてみたら、こんな風に載っていました。

 

 

【名前(なまえ)】

ある人や物事を他の人や物事と区別して表すために付けた呼び方。名。

三省堂 大辞林より引用>

 

 

少し噛み砕いて言うと、何かと何かがそれぞれ別のものであることを示すためのものが名前です。例えば日常生活で考えると、「あれ取って!」と言っても、深い関係性が築かれている場合を除いて、「あれ」が何を示しているのか伝わりません。しかし、「箸取って!」と言えばほぼ100%相手に伝わります。「箸」という名前があることで、食事に使う2本の棒を、その他有象無象から区別することが出来ているということです。

 

物だけでなく人も同じで、一人ひとりに固有の名前がついていることで、あらゆる人間の中からある人間を特定することが出来ます。また、他人から自分の名前を呼ばれることで自分が自分であることの認識もできます。つまり、名前とは「アイデンティティの象徴」であるということです。

 

CIDER ROAD』というアルバムとその位置づけについて

 冒頭でも触れたとおり、『CIDER ROAD』はUNISON SQUARE GARDENのメジャー4thアルバムです。このアルバム、良いアルバムであると同時に、バンドにとって大きな意味を持つアルバムでもあると思います。というのもこのアルバムは、メジャー3rdアルバム『Populus Populus』で実験的に挑戦した、「最高のロックバンドが最高のポップスをやる」というスタイルを極限まで突き詰め、「UNISON SQUARE GARDENとはこういうバンドだ!」ということを、世の中に分かりやすい形で宣言したものだからです。と、言ってもあまりにざっくりとし過ぎているので以下で詳しく説明します。

 

今となっては華々しい道を歩いてきたように見える彼らですが、メジャー2ndアルバム『JET.CO』のあたりの時期はバンド内の空気も悪く、本人たちも“闇期”と称するほど大きな苦労を重ねていました。その一番大きな理由は、田淵(Ba./Cho.)の作りたい曲とプロデュース側が求める曲の間にギャップがあったことだと思います。プロデュース側が「売れるためにもっと分かりやすい曲を」という要求をした結果、自分の曲を理解してもらえないと感じた田淵の、プロデュース側に対する不信感が大きくなり「事務所を辞めたい」と言い出すこともあったようです。そして、バンド内・チーム内の空気の悪さがピークを迎えたとき、この闇期を最も象徴する出来事が起こります。それは、斎藤(Gt./Vo.)が作詞作曲を手がけた『スカースデイル』をA面としたシングルがリリースされたことです。プロデュース側が納得する曲が中々出てこない状況の中で、他のメンバーも曲作りにトライした結果です。

 

 

田淵 「すごくショックだったんですけど、売れない歌詞を書いてるからしょうがない、みんなで書き始める時期なんだって思ってた時期だった。『スカースデイル』の時は、最後まで僕の曲も残っていたんです、決定の直前まで僕の曲で行くと思っていたんです。まだ自信があったから(笑)。でも、決定した瞬間に「えっ、うそ?」って(笑)当時はクソガキだったから、自分のものだけが最高だと思っていたんですよね、今でも思っているんですけど(笑)全然良い曲を作れていないのに、そこに気付けていなかった。だから、『スカースデイル』がシングルで出るというのは僕の中でも衝撃的な出来事だった。」

<DUGOUT ACCIDENT SPECIAL BOOKLET 内のインタビューより引用>

 

田淵「やっぱり、自分の作った曲がシングルにならないっていう経験をしたことで(『スカースデイル』のこと)」、何だったら俺は勝てるんだろう?っていうことを無意識に模索していた時期なんでしょうね。『Populus Populus』の一部として、“オリオン~”ができて、それを突き詰めた結果として出来上がったのが『CIDER ROAD』だったんですよ。

<MUSICA 2017年11月号のインタビューより引用>

 

 

 

この出来事に大きな衝撃を受けた田淵は、それまで以上に「自分が出来ること、勝てるところはどこなのか?」ということを意識しはじめ、結果として、「最高のロックバンドが最高のポップスをやる」というスタンスにたどり着きます。そしてそのスタンスの実現にあたって田淵は、それまでプロデューサーやリスナーに対して「自分の頭の中にあることは、言葉や音にして説明しなくても伝わる」という考えを持っていたことに気付き、そこを修正していく方向に舵を切ります。

 

  

田淵「(『CIDER ROAD』に鍵盤やホーンの音がたくさん入っていると言う指摘に対して)ああいった音って自分が作ってる音楽に必要なものとして以前からずっと存在してはいたのですが、僕の頭の中だけで鳴ってたんです。今まではそれを鳴らさなくても、リスナーにイメージは伝わるかなって思ってたんですよね。だけど「伝わらないんだな」って気付いたというか。それで3rdアルバムのあたりで入れてみたんです。

 

田淵「多分ですけど、自分が「何が好きか」を1stと2ndではあまり言ってなかっただけなんです。好きな部分をアピールするやり方がわかってなかったというか。嫌いな側面を歌ってれば「実際はこういうのが好きなんです」っていう点をわざわざ口に出して言わなくても、汲み取ってもらえる気がしてたんでしょうね。」

<音楽ナタリーのインタビューより引用>

natalie.mu

 

 

 

それまでは田淵の頭の中だけに存在し、楽曲中には明示されてこなかった言葉や音たちが、ロックバンドの提示するポップスとして、半信半疑ながらも世に放たれます。それが『オリオンをなぞる』であり『Populus Populus』であるのだと思います。『Populus Populus』のリリースによって、彼らはそのスタンスに対して「これでいいんだ!」という確信を得ます。そして、確信を持ってそのスタンスを極限まで突き詰め「UNISON SQUARE GARDENとはこういうバンドです!」ということを世に強く宣言したアルバムが『CIDER ROAD』なのです。 つまり、彼らが自らのアイデンティティを掴み取り、それを世に示したアルバムが『CIDER ROAD』だということです。 

 

「名前」という歌詞と『CIDER ROAD』について

上でつらつらと書いてきたように、「名前」はアイデンティティの象徴であり、『CIDER ROAD』は彼らのアイデンティティが世に示されたアルバムです。となると、このアルバムに「名前」という言葉が多用されている理由もぼんやりと想像できてくるのではないでしょうか。闇期の中で迷走し、自分たちが何をやりたいのか、どこなら勝てるのかを見失っていた彼らにとって、このアルバムを作りあげていくことは、自らの奏でる音楽に対して、ひとつひとつ名前を付けていく作業だったのだと思います。これが、『CIDER ROAD』において「名前」という歌詞が多用されていることに対する僕の解釈です。

 

 

【僕に 例えば君は 名前 例えば聞くかもな 名前なんかないよ何にも だから君が今付けたらいいんだよ】

<お人好しカメレオン>

 

 

ここまでばっちりと自分たちのアイデンティティを示したアルバムの最重要曲に、「それでも名前は君が付けるのだ」と言い放ってしまう彼ら、どこまでもひねくれてますよね(笑)しかしそう思う反面、そんな風にリスナーがひねり出した解釈を全力で肯定してくれるところが本当に大好きで仕方無い、そんなことを改めて思いました。